青春の思い出を歌う会

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「青春の思い出を歌う会」は偶数月の第一日曜日に催される歌の会である。
・・.ここ「さやま荘」の大広間には今回も100人近くの歌の好きな人たちが集まって、昭和歌謡を中心に
日本の歌、童謡そして軽音楽や時にはクラシック音楽も楽しむ。その会の伴奏をつとめるのが、音楽ボ
ランティア「ハーモニーさやま」のメンバーである。「歌う会」伴奏は今回で40回目を迎える。ということ
は7年目になるということだ。今日は立ち上げ当初から歌の会をお世話してきた方たちがステージで
歌ってくれた。さすがにみなさん 歌がうまく伴奏とも息がぴったりだ。
私も5年前から「ハーモニーさやま」に入れてもらい、クラリネットを担当している。今では、レパートリー
の楽譜が300曲近くファイルされている。なじみの薄かった歌謡曲もたくさん覚え、歌の伴奏をするのが
楽しくなってきている。
「歌と音楽のあふれる街に!」をボランティアの目標にして狭山の街で皆さんとともに活動していきたい。
                            (ポスター・・・「ハーモニーさやま」)

「心に残る路辺の風景」水彩画展

りんご3つ
 風もなく暖かい陽射しいっぱいの週末、退院後おとなしくしていたが、今日は大阪の街に
出た。宮山博司水彩作品展をリーガロイヤルギャラリーに観にいった。毎年、画伯はここで
ヨーロッパなど外国の風景と日本の風景を交互に展示される。今回は「心に残る路辺の風景」
というテーマで主に関西の風景を70点ほど出されていた。宮山先生とお会いできて嬉しかった。
(実は私も10数年前「絵の手ほどき」を受けたできの悪い生徒である。)私は関西の風景を
スケッチに出かけるとき、先生の足取りを辿ることが多い。お会いするたびに「描いてますか?」
と尋ねられるが、「はい、ボチボチ・・・」と言葉を濁す。先生はよく私の思いに合わせ、助言して
くださったことを思い出す。例えば、スケッチポイントを探しあぐねていると、「歩き回っていると、
景色のほうから”ここを描いてくれ~”というところがあるよ・」といった具合に・・・。
なにか気持ちが楽になり、自然の風景と溶け合って描きたい気分がもりあがってくるポイントが
見つかることが多い。今回も画伯の絵をみて、何気ない眺めだが何かしら懐かしい・・・、こんな
景色の中でぼんやりしていたい。できれば絵にしてみたい。・・・そんな憧れを持った。
                ( 「3つのリンゴ」筆者の絵 水彩 F6 )

いい日旅立ち

長崎 スケッチ
今日は、近くに住む孫のTくんが小さな”旅立ち”をする日である。
野球に明け暮れた高校をこの春卒業し、自分の進路を決め大学に進む。家からは通えない
遠方の地へ行って、生活自立をしていかねばならない。親は心配なのか、単身赴任の父親
も帰ってきて見送った。朝早くから仲良しの友達二人、そして近所の、親しくしていただいた
パパさんたちも出勤前に見送ってくれた。妹、弟もお兄ちゃんの出発になにか感じているようだ。
私たちは少し距離をおいているとはいえ、孫の旅立ちは嬉しい反面少しさびしい。とくに私は
彼に野球を勧め、ずっと応援してきたし、農園の力仕事はほとんど孫のTくん頼みだったからで
ある。・・ふと、私の旅立ちの頃を思い出していた。なかよしの2人が駅のホームで見送ってくれた。
私の場合、浪人後のほろ苦い思い出でもあるが、大事にしたい青春の一ページでもあった。
                              (「長崎港風景」 水彩 F6)

霞か雲か それとも霧か

サクラソウ
 先日、白内障の手術をした。実は半年前左目をやり、今回は右目をした。
左目は手術したので良く見えて、右目は10メートル先の人の顔が判別できな
い状態で、小さい文字も楽譜も二重に見えたりして不便であった。手術後、
眼帯を外し、景色を見たらはっきり見えてうれしかった。
ただ、両目とも人工レンズの焦点を遠くにあわせていたので、近くの文字は老眼
鏡をかける。合併症のことも気にはなるが、とりあえず、霞や霧は晴れて、世の中
が良く見えるようになった。妻の顔のシワもはっきり見えて、良かったのかどうか?
 心配していただいたみなさん、お見舞いのメールまでいただいてありがとうござい
ました。これから、好きな本もいっぱい読め、楽譜の読み間違いも少なくなるかな?
                    (  「サクラソウ」 水彩 F6 )

春は名のみの風の寒さや

大阪城梅林公園
春の日差しに梅は満開ではあるが、風はまだ冷たい。梅林越しにみる大阪城だが、
この絵で私は何を主役にしたかったかというと、城でもなく、梅林でもない、石垣である。
秀吉の築いた石垣は夏の陣以降埋められ、盛り土がされ、徳川の時代になって、より
高く築かれたものだろう。徳川幕府の天下普請により石垣にも当時の石組み技法の粋
が集められいろいろな組み方がみられ、観て回るのもおもしろい。また、各地から石が
運ばれ、瀬戸内海の島々からも巨石が海上輸送されたようだ。そんなことを想像しなが
らスケッチをした。
                ( 大阪城の石垣  水彩 F6)