お別れ

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 癌という病魔と闘い、先月末義姉は息をひきとった。最後の一か月は、二人姉妹の
妹である私の妻が病院に通い詰めで、付き添った。病状が進むにつれて患部から
全身に痛みが広がり、その度合が増していったようだ。電話での報告を聴くにつれ
痛みは尋常でないことが解る。「痛いよ~」「助けて」「家に帰りたい」とあの気丈で
あった義姉が、(妹である)妻の手を強く握りしめ、訴えたようだ。私が駆け付けた時は、
これ以上ないという強い痛みどめの薬が注射され、引き換えに会話ができなくなっていた。
 それから三日後に妹に看取られ、亡くなった。人生の最後でこんな痛いめに会うとは・・。
 通夜、お葬式は義姉の同級生を中心に昔の職場の仲間、趣味の書道や折り紙の会や
ハングル講座の仲間、近所の方たちなどたくさん集まってくれた。医療技師として40年間
勤めあげ、周りから信頼され、健康コンサルタントの役も担っていたようだ。私の4人の孫も
見舞いに続き(悲しいお別れになってしまったが、)遠く大阪から佐世保の地に駆けつけた。
 仕事柄、研究熱心なひとで、部屋の整理をしていてその本やノートの膨大さでそれが解った。
 ひとのため、それも病気や障害のある人たちのため尽くした義姉はずっと独身でがんばって
いた。私たちはその遺志をすこしでも受け継いでいくことが義姉への供養となるのではと思う。
                         ( 折り紙や手芸の好きだった義姉の作品)

Tクンからのメール

野菜炒め (340x255)

このところ、自炊生活にマンネリ化がきて、野菜炒めか野菜煮込みのどちらか
が続き、レシピ集の本も見なくなって、なんとなく「しんどいな~」と思うように
なってきた。晩、お茶碗を洗って、乾燥機にいれるのだけはなんとかがんばって
やっている。  そんな折、孫のTくんから写真とメールが届いた。彼は、週の
半分は、自炊でがんばっている。「じっちゃんが作って送ってくれたジャガイモと
玉葱を今日使い切ったよ。おいしかった~、ありがとう。」・・・と。
レシピ交換の写真は、彼の方がちゃんと生活していることをよく表している。
 ところで、義姉の病状は食べ物が入りにくくなり、痛みが増してきているとのこと。
緩和ケアが施されているが、姉のがんとの闘病は付添いの妻にとっても闘いで
あるようだ。私も親友といえる友人二人を癌で亡くしているので、本人の苦しみと
その家族のつらさや苦労がわかる。週末は長崎の義姉を見舞う予定にしている。
・・・孫に励まされて、まずは自分の生活の自立をしっかりせねば・・・。Tクンの
「野菜炒め」、私より上手だな!?

子どもと虐待

子どもと夕涼み会
新聞報道でも全国の児童相談所が対応した児童虐待件数は2016年度で前年度比18%増の12万
2578件(過去最高)とあった。26年連続の増加であって、これは言葉や態度で子どもを傷つける所謂
「心理的虐待」が半数を占める。その中に親が配偶者に暴力をふるう面前DVが含まれる。
報道と時を同じく、先日「虐待から子どもを守る社会の仕組み」というテーマで医療・福祉・教育等の近接
領域の研究者・医師・実践者のシンポジュームが大阪で開かれて、私も参加した。私も(現職は退いては
いるが)心身に障害のある子どもや青年の相談に今も関わっているからだ。(この紙面では会の詳細は
載せられないが)それぞれの分野のレポートは重みがあり、現状と課題がよくわかった。今回は虐待の
原因とか病理などの問題はテーマとは外れるので無かったが、医学等の分野からのレポートも聴いて
みたいところである。
○児童相談所がより専門的な機関として、特に「児童虐待」への対応の中核的な役割が期待され、H.
28年の法改正では、医師、保健師、弁護士などの専門職が配置されている。・・・が、その件数の多さ
と相談の受理から調査、判定、から援助方針や措置など、一つの機関でおこなうことの難しさがよくわ
かるような気がする。
○「医療型施設でもある児童病棟での入院治療」についてのレポートで、特に印象に残った言葉が
「ここ(報告者の職場)は生活自体が治療の場であり」、「子どものためになる治療であれば、ありとあら
ゆることをやっています。」ということであった。最近、障害のある子が虐待を受けて入院するケースが
多いという。医師、看護師、スタッフの皆さんの医療以外の福祉、児童心理や発達についての総合的な
対応がより期待されている。私も、現職の時、この病院とは連携した経験もあり、ご苦労が理解できる。
                (「夕涼み会の子どもたち」(文とは関係なし) 水彩F4)

毎日の食事

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 この10日間は、けっこう家事、ペットの世話など、忙しかった。近くに住む娘家族は
4泊3日の義姉の見舞いを兼ねた九州旅行。妻は義姉の看護などで当分帰れない。
でも、近所の方たちから、オカズや果物をいただいて、毎日の料理(自炊)をけっこう
楽しんでいる。主菜は2日分作り、なんとか余裕がでてきた。そんな中、味噌が切れ
かけたころ、手作り味噌をいただいた。なんとグッドタイミング!ありがたかった。
それが、なんともなつかしい味がする。私が15歳まで、毎朝作ってくれた亡きおふくろ
の味を思い出す。結婚してからも、朝の味噌汁は欠かさない。一人暮らしを強いられる
期間も、朝は自分で味噌汁を作って食べる。お腹が落ち着いて、1日の活動が始まる
のである。若い家族は、パン食が多いとか、・・・猛暑を乗り切るには味噌汁がいい。
私の朝の味噌汁は、3つのレパートリーをもっている。余ったスープは冷蔵庫に入れて、
お昼にいただく。まだ、夏休みが続くが、昼は孫たちが昼食にやってくるが、おいしい
味噌汁を冷たくしてだしてやろう。文句は云わせない。おいしいんだから・・・。

長崎の鐘

浦上教会
 また、8月が巡ってきた。今年は猛暑日が続く中、「青春の思い出を歌う会」は盛況であった。
今回は「長崎の歌シリーズ」(5曲)があり、先日NHKのど自慢に出場した、歌う会の会長のMさんが、
『長崎の鐘』を熱唱してくれた。 この歌は長崎大学の医学部の医師であり、随筆家でも
ある故永井 隆博士の心境がうたわれている。作詞はサトウハチロウさん、作曲は古関裕而さ
んであるが、原爆そのものの描写など全くないにもかかわらず、深い悲しみと怒りが伝わってくる。
そして、この歌は長崎だけでなく、戦災を受けたすべての受難者に対する鎮魂歌でもある。
夫人を原爆で亡くし、自ら被爆したにもかかわらず被爆者の治療にあたり、重い白血病
で倒れる永井博士の姿がわれわれの心を打つ。氏の著『この子を残して』などに戦争の残酷さや
平和への希求が著されている。被爆して崩壊した浦上教会の残骸から掘り出された「長崎の鐘」
に、人々の未来への希望を託すかのように、歌は後半転調して、明るい光をさして終わっている。
( 長崎カトリック浦上教会 水彩F4--再掲)