子どもと虐待

子どもと夕涼み会
新聞報道でも全国の児童相談所が対応した児童虐待件数は2016年度で前年度比18%増の12万
2578件(過去最高)とあった。26年連続の増加であって、これは言葉や態度で子どもを傷つける所謂
「心理的虐待」が半数を占める。その中に親が配偶者に暴力をふるう面前DVが含まれる。
報道と時を同じく、先日「虐待から子どもを守る社会の仕組み」というテーマで医療・福祉・教育等の近接
領域の研究者・医師・実践者のシンポジュームが大阪で開かれて、私も参加した。私も(現職は退いては
いるが)心身に障害のある子どもや青年の相談に今も関わっているからだ。(この紙面では会の詳細は
載せられないが)それぞれの分野のレポートは重みがあり、現状と課題がよくわかった。今回は虐待の
原因とか病理などの問題はテーマとは外れるので無かったが、医学等の分野からのレポートも聴いて
みたいところである。
○児童相談所がより専門的な機関として、特に「児童虐待」への対応の中核的な役割が期待され、H.
28年の法改正では、医師、保健師、弁護士などの専門職が配置されている。・・・が、その件数の多さ
と相談の受理から調査、判定、から援助方針や措置など、一つの機関でおこなうことの難しさがよくわ
かるような気がする。
○「医療型施設でもある児童病棟での入院治療」についてのレポートで、特に印象に残った言葉が
「ここ(報告者の職場)は生活自体が治療の場であり」、「子どものためになる治療であれば、ありとあら
ゆることをやっています。」ということであった。最近、障害のある子が虐待を受けて入院するケースが
多いという。医師、看護師、スタッフの皆さんの医療以外の福祉、児童心理や発達についての総合的な
対応がより期待されている。私も、現職の時、この病院とは連携した経験もあり、ご苦労が理解できる。
                (「夕涼み会の子どもたち」(文とは関係なし) 水彩F4)
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毎日の食事

20170812_071316 (340x213)
 この10日間は、けっこう家事、ペットの世話など、忙しかった。近くに住む娘家族は
4泊3日の義姉の見舞いを兼ねた九州旅行。妻は義姉の看護などで当分帰れない。
でも、近所の方たちから、オカズや果物をいただいて、毎日の料理(自炊)をけっこう
楽しんでいる。主菜は2日分作り、なんとか余裕がでてきた。そんな中、味噌が切れ
かけたころ、手作り味噌をいただいた。なんとグッドタイミング!ありがたかった。
それが、なんともなつかしい味がする。私が15歳まで、毎朝作ってくれた亡きおふくろ
の味を思い出す。結婚してからも、朝の味噌汁は欠かさない。一人暮らしを強いられる
期間も、朝は自分で味噌汁を作って食べる。お腹が落ち着いて、1日の活動が始まる
のである。若い家族は、パン食が多いとか、・・・猛暑を乗り切るには味噌汁がいい。
私の朝の味噌汁は、3つのレパートリーをもっている。余ったスープは冷蔵庫に入れて、
お昼にいただく。まだ、夏休みが続くが、昼は孫たちが昼食にやってくるが、おいしい
味噌汁を冷たくしてだしてやろう。文句は云わせない。おいしいんだから・・・。

長崎の鐘

浦上教会
 また、8月が巡ってきた。今年は猛暑日が続く中、「青春の思い出を歌う会」は盛況であった。
今回は「長崎の歌シリーズ」(5曲)があり、先日NHKのど自慢に出場した、歌う会の会長のMさんが、
『長崎の鐘』を熱唱してくれた。 この歌は長崎大学の医学部の医師であり、随筆家でも
ある故永井 隆博士の心境がうたわれている。作詞はサトウハチロウさん、作曲は古関裕而さ
んであるが、原爆そのものの描写など全くないにもかかわらず、深い悲しみと怒りが伝わってくる。
そして、この歌は長崎だけでなく、戦災を受けたすべての受難者に対する鎮魂歌でもある。
夫人を原爆で亡くし、自ら被爆したにもかかわらず被爆者の治療にあたり、重い白血病
で倒れる永井博士の姿がわれわれの心を打つ。氏の著『この子を残して』などに戦争の残酷さや
平和への希求が著されている。被爆して崩壊した浦上教会の残骸から掘り出された「長崎の鐘」
に、人々の未来への希望を託すかのように、歌は後半転調して、明るい光をさして終わっている。
( 長崎カトリック浦上教会 水彩F4--再掲)

レシピ交換 その②

木綿豆腐と鶏肉とトマト (340x212)
今月初め、長崎の義姉の「再入院」で、妻は看病に向かった。「点滴」で栄養を補充して、生活の自立が
むずかしくなったためである。「妹としてできるだけのことはしたい。」 独り暮らしだった姉なので、妹が
頼りでもある。わたしの娘たちも今夏はそろって見舞いに行く予定である。できるだけ助け合いたい。
ということで、私の自立生活もまた始まった。慣れてきたとはいえ、料理?が当面の課題でもある。
その点、今年大学生になった孫のTくんは頼もしい。例によって「レシピ交換」の写真を送ってくる。
私も負けてはいられない。(テレビでみた)木綿豆腐を焼いてトマトと鶏肉をいため、○○ソースをかけて
生野菜を添えてつくった。あとはニンジンときゅうりの浅漬け(3日に一度ぬかをかき回し、入れ替える)。
折り返し、送ってきたのが「チンジャオロースー?」とかゆう中華料理のレシピである。(下段の写真)
キムチの冷奴もついて、一人で食べるのはもったいない。(私はつい2,3人分作ってしまうが・・・)
・・・名前までついているのか、おぬし、なかなかやるなぁ~。 どこで覚えたのか、美味しそう!
中国料理 (255x340)

”亡命 オーケストラ” BSテレビ視聴

石津港
今日は、BSプレミアムで「亡命・オーケストラ」という番組があった。俳優の玉木 宏さんが
ヨーロッパの現地を訪ね、あまり語られなかった日本人音楽家のもう一つの側面を検証する
番組であった。あの近衛秀麿氏がナチス・ドイツが支配していた戦時下のフランスで、自らの
楽団を率いて演奏旅行をする中、迫害を受けるユダヤ人音楽家をひそかに安全な国へ亡命
させる手助けをしていたというものだ。当時、ナチスはプロパガンダとしてクラシック音楽も利用
していたが、だんだんしっかりした芸術性の高い音楽は禁止していった。音楽家たちは戦時下
でも秘密のコンサートを命がけでこっそり催していた。そうして抵抗していた音楽家も多くは亡命
せざるおえず、アメリカはじめ他の国へ渡った。近衛秀麿氏がかかわった楽団のなかに、若い時
のピエール・ピエルロ(オーボエ)やジャック・ランスロ(クラリネット)やピエール・フルニエ(チェロ)
などの著名な演奏家の署名がある。(ちなみにランスロのクラリネット教則本は私も使っていた。)
 日本も戦争が激しくなると、西洋音楽(特にジャズなど)は演奏しにくくなってきた時代がある。
実兄が日本の首相をしていたような近衛秀麿氏にそんな姿があったとは知らなかったが、本当に
音楽を愛し、音楽家を守り育てるために自分の立場、命までもかける気概のある先人がいたこと
を誇りに思う。
    ( 「堺港にて」 水彩 12号 )